 |
 |
| |
| 東明のあかるむ霧にほのかなる光あつめてさく霧華かも |
|
齋藤 瀏 |
| |
| 歌によき霧華の街のうすぐもり春に先だちいゆく人かな |
|
小熊 秀雄 |
| |
| から松の霧華は銀の鍼に似て人の気配に枝より雰る |
|
松田 一夫 |
| |
|
|
| |
|
北国銘菓「き花」の名前の原典は、齋藤 瀏の歌集『霧華』にさかのぼります。齋藤 瀏は、軍人で二度にわたり第七師団に赴任し通算10年3ヶ月を旭川で過ごしています。昭和2年3月、熊本第11師団旅団長としての栄転に際し、旭川歌話会(代表
酒井広治)は送別短歌会を開催、齋藤 瀏は娘の史と共に出席して歌を残しています。当時、旭川新聞社に勤務する小熊秀雄はこの旭川歌話会で幹事をつとめ、送別会で霧華という文字を織り込んだ歌を寄せています。
齋藤 瀏は、昭和4年に第二歌集『霧華』を発刊。大正3年から9年までの旭川在任中に詠んだ霧華の題が9首収録されています。北辺の冬の現象を表現する言葉として霧華という造語を編み出したとみられています。凍てつく氷点下の世界に、光に煌めく霧の美しさに華という字を付して霧華と表現したのでしょうか。
俳句歳時記の冬の季語に、木華、木花、霧の花、樹霜などが見られますが、霧花という字句は見あたりません。旭川で齋藤 瀏が特有な言葉として詠いこんだのが初めてとみられます。
大正13年、再度旭川に着任した齋藤 瀏、史親子は大正15年に発足した旭川歌話会にも参加。昭和2年に短歌誌「霧華」を創刊しますが、4年には「半仙戯(ふららこ)」と改題しています。
昭和21年6月、俳句誌「霧華」(塩野谷秋風)が創刊されておりますが、49年12月に「樹氷」(きばな俳句会)と改題されて現在に至っております。
旭川で霧華をテーマにして詠んだ歌人の短歌3首を右に掲げてみました。松田一夫歌集『き花凍む街』のあとがきで、松田翁が壺屋総本店の菓名の名付け親として「き花」命名の経緯についてふれております。
「霧華」の想念から発祥し、転じて「き花」と書き表して命名。そのロゴタイプと共に商標登録をさせていただきました。イメージにふさわしい北海道の叙情的な風景をモチーフとした『き花』は、世界の食品コンクールで20年連続金賞に輝くお菓子として変わらぬ評価をいただいております。
|
|
| |
 |
|
 |
| |
|
|
若山牧水・喜志子夫妻旭川来訪。
齋藤家に宿泊。このころから史も作歌。
前列左から喜志子、牧水、父の瀏、 後列左母キク(大正15年) |
|
| |
| この「霧華物語」のページは、旭川市文学資料友の会ボランティア会員の沢栗修二氏の制作編集したサイトです。掲載内容に関するお問い合わせは下記までどうぞ。 |
| |
|
|